はじめに
3月――。北海道介護福祉学校では、今年も卒業式を終えたばかりです。巣立っていく学生たちの背中を見送るたびに、私は毎年同じことを思います。「この子たちが、介護の仕事を誇りに思い続けられる社会であってほしい」と。
私は非常勤講師として養成校の教壇に立ちながら、株式会社MCLで介護事業の経営管理にも携わっています。教育の現場と経営の現場、その両方に身を置くからこそ見えるものがあります。
今日は、卒業生を送り出し、4月に新入生を迎えるこの時期だからこそ考えたい、「介護教育は誰のためにあるのか」というテーマについてお話しします。
卒業生たちが教えてくれたこと
「先生、現場は教科書と違いますね」
卒業して1年目の教え子から、こんな連絡をもらうことがあります。最初は戸惑いの声です。教科書通りにいかない利用者との関わり、先輩職員との人間関係、想像以上の体力的な負担。
しかし、多くの卒業生がその後にこう続けます。「でも、利用者さんの笑顔を見ると、やっぱりこの仕事を選んでよかったと思います」と。
この言葉を聞くたびに、私は養成校での教育の意味を再確認します。私たちが学生に伝えるべきは、技術や知識だけではありません。困難にぶつかったときに立ち返れる「原点」を心に刻むこと。それこそが、養成校の教育で最も大切なことだと感じています。
離職する卒業生の声にも耳を傾ける
一方で、現実から目を背けるわけにはいきません。介護福祉士養成校を卒業して介護職に就いた方のうち、3年以内に離職する割合は決して低くありません。
離職した卒業生に話を聞くと、「介護の仕事が嫌になったわけではない」という声が多いのです。人間関係、労働環境、将来への不安――。介護という仕事そのものではなく、「働く環境」に課題があるケースがほとんどです。
これは教育の問題であると同時に、経営の問題でもあります。養成校で志を持って送り出した人材が、職場環境によって疲弊していく。この現実に対して、教育者としても経営者としても、私は責任を感じています。
養成校の教育で伝えたい「3つの力」
1. 観察する力──「見る」から「気づく」へ
介護の専門性の根幹は、「観察力」にあると私は考えています。
利用者の表情、歩き方、食事の量、言葉のトーン。日常の何気ない変化に気づけるかどうかが、ケアの質を大きく左右します。教科書で「バイタルサインの測定方法」を学ぶことは大切です。しかし、数値に表れない変化を感じ取る力は、現場での実践と、養成校での意図的なトレーニングの両方で育まれます。
私の授業では、事例検討の中で「あなたはこの場面で何に気づきましたか?」と繰り返し問いかけます。正解を教えるのではなく、自分の目で見て、自分の頭で考える習慣を身につけてほしいからです。
2. 対話する力──利用者とも、チームとも
介護は一人で完結する仕事ではありません。利用者やご家族との信頼関係を築く力、多職種チームの中で自分の意見を伝える力。これらは「対話力」として、養成校の段階から意識的に鍛える必要があります。
在宅医療・介護連携コーディネーターとしての活動の中で、私は多職種連携の現場を数多く見てきました。そこで活躍しているのは、必ずしも経験年数の長い方ではありません。「わからないことをわからないと言える人」「相手の立場を想像して言葉を選べる人」が、チームの中で信頼を得ています。
この力は、入職後に自然と身につくものではありません。養成校のグループワークや実習指導の中で、意図的に「対話の経験」を積み重ねることが重要です。
3. 学び続ける力──卒業がスタートライン
介護保険制度は3年ごとに改定されます。認知症ケアの考え方も、テクノロジーの活用も、10年前とは大きく変わりました。養成校で学んだ知識は、5年後には一部が古くなっているかもしれません。
だからこそ、「学び続ける力」を養成校の段階で育てたいのです。具体的には、自分の実践を振り返る習慣、疑問を持ったときに調べる習慣、新しい知見を柔軟に取り入れる姿勢。
最近では、AIツールを活用した学習方法も学生に紹介しています。制度の改定内容を調べたり、事例検討の論点を整理したり。AIは「答えを教えてくれるもの」ではなく、「考えを深めるための対話相手」として活用することで、学び続ける力の強化につながります。
教育と経営をつなぐ──養成校と現場の「共育」
養成校と事業所が分断されている現状
介護教育の課題として、養成校と介護現場の間に「溝」が存在することを指摘しなければなりません。
養成校は養成校のカリキュラムで教え、事業所は事業所のやり方で育てる。両者の間に十分な対話がないまま、学生は「学校で習ったことと現場が違う」というギャップに苦しむことになります。
「共育」という考え方
私はこれを「共育(ともいく)」という考え方で乗り越えたいと考えています。養成校と事業所が一緒になって人材を育てるという発想です。
具体的には、事業所の管理者やベテラン職員に養成校のゲスト講師として来てもらう。逆に、養成校の教員が事業所の研修に関わる。実習先との連携を密にし、実習での学びが就職後にもつながるようにする。
MCLでの経営の経験から言えば、新人職員の早期離職を防ぐ最大の要因は、入職前後のギャップを最小化することです。それを実現するには、養成校と現場が「同じ方向を見て育てる」体制が不可欠です。
新入生を迎えるにあたって
4月になれば、新しい学生たちが介護福祉学校の門をくぐります。彼ら・彼女らがなぜ介護の道を選んだのか、その理由はさまざまでしょう。家族の介護経験がきっかけの方もいれば、「人の役に立つ仕事がしたい」という純粋な想いの方もいます。
どんな理由であれ、介護の道を志した時点で、その決断は尊いものです。
私が新入生に最初に伝えたいのは、「介護は、人の人生に寄り添うことができる、数少ない専門職です」ということ。食事、入浴、排泄といった日常の営みを支えるということは、その方の「生活」そのものを支えるということ。これほど人間の本質に近い仕事は、他にそう多くありません。
2年間の学びの中で、技術も知識も身につけてほしい。でもそれ以上に、「この仕事を選んでよかった」と思える自分自身の原点を見つけてほしい。そう願っています。
おわりに
介護教育は、単に資格を取得するための過程ではありません。一人の専門職としての「あり方」を形づくる時間です。
卒業生を送り出すこの季節、私はいつも自分自身にも問いかけます。「自分は、学生たちに胸を張れる教育ができているだろうか」と。その答えに100%の自信を持てる日は、おそらく来ないでしょう。だからこそ、私自身も学び続け、現場と教育の架け橋であり続けたいと思います。
介護の未来は、今まさに学んでいる学生たちの手の中にあります。その未来を少しでも明るいものにするために、教育者として、経営者として、地域の連携コーディネーターとして、できることを一つひとつ積み重ねていきます。
木下 浩志
NPO法人ちとせの介護医療連携の会 理事長
株式会社MCL 取締役
北海道介護福祉学校 非常勤講師
