連携の土は、誰かが先に耕してくれている ― 北海道家庭医療学センター30周年サイトに、インタビューが掲載されました

北海道家庭医療学センター 開設30周年

9月1日、火曜日です。防災の日ですが、今日は別の話をさせてください。

北海道家庭医療学センター(HCFM)が、今年で開設30周年を迎えました。その記念サイトが公開され、30周年メッセージのインタビューの1人として、私も声をかけていただきました。医師の先生方や大学の教授が並ぶ中に、介護側から1人。正直なところ、依頼のメールを読んだときは「私でいいのだろうか」と何度も読み返しました。

インタビューでは、千歳市でこの10年に起きたことを、思い出しながら話しました。せっかくなので今日は、そこで話し切れなかったことも含めて書いておきたいと思います。

立ち上げの初年度から、いきなり走れた理由

私たち「ちとせの介護医療連携の会」は、市内のケアマネジャー、病院のソーシャルワーカー、介護職員などの有志が、職種や法人の垣根を越えてつながることを目的に、2016年に発足しました。翌2017年にNPO法人化。2018年4月に千歳市から在宅医療・介護連携推進事業を受託し、在宅医療・介護連携支援センターを開設しています。

この手のセンターを立ち上げるとき、たいていは在宅医療を担う医師との関係づくりから始まります。まず誰に会いに行くか、どう説明するか、そこで何か月も使う。それが普通です。

ところが千歳では、その工程がほとんど要りませんでした。向陽台ファミリークリニックの中島徹院長が、私たちが動き出すよりも前から地域の関係者と顔を合わせ、関係を丁寧に耕してくださっていたからです。おかげで初年度から、市民向けの講演会、ケアカフェ、町内会での勉強会、在宅医療の普及啓発と、いきなり本題に踏み出すことができました。

今あらためて考えると、2017年の向陽台ファミリークリニックは開業したばかりで、まずは自分たちの診療を軌道に乗せることに時間を使いたい時期だったはずです。それでも地域の活動に惜しみなく時間を割いてくださった。当時はありがたいと思うだけでしたが、自分が法人の経営に関わるようになってから、あれがどれだけ大変なことだったのかが、遅れて分かってきました。

「見えない壁」が、この地域にはなかった

医療と介護の多職種連携は、全国どこでも進められています。ただ現場では、社会的地位の高い医師に介護側が気を遣い、関係者のあいだに見えない壁ができてしまうことが珍しくありません。会議で発言が出ない、質問ができない、結局は伝達の場になってしまう。そういう風景を、私も他所で何度か見てきました。

その点、中島先生をはじめ向陽台ファミリークリニックの先生方は、本当に敷居が低い。どんな職種の人ともフラットに接してくださいます。

介護・福祉への理解が深い医師は、もちろん他にもいらっしゃいます。ただ北海道家庭医療学センターの先生方は、相手の立場や職種ごとの役割を十分に理解したうえで、地域全体を見渡しながら関わってくださる。そこは一歩抜きん出ていると感じます。家庭医療という考え方が、たまたま個人の人柄として現れているのではなく、組織の中で30年かけて育てられてきたものなのだろうと思います。

「点」だった連携が「面」になるまで

当会の在宅連携部会では、向陽台ファミリークリニックが中心的な役割を担ってくださっています。地域の医師、ケアマネジャー、介護サービス事業者が2か月に1度クリニックに集まり、在宅医療を利用している方の情報を共有し、ディスカッションを行っています。

ICT連携も進めてきました。「バイタルリンク」を使った情報共有は、現在、市内33事業所・76アカウントで運用されています。

ただ、この数字自体はそれほど重要ではないと思っています。大事なのは、向陽台ファミリークリニックの患者さんを起点にして、少しずつ輪が広がってきたという順番のほうです。

システムを入れれば連携が始まるわけではありません。導入時の説明会、操作説明会、意見交換会。使ってみて出てきた不満を持ち寄る場。そこにクリニックが継続的に関わり、現場目線のフィードバックを積み重ねてくださったことが、結果として運用の安定につながりました。「点」だった連携が「面」に広がる過程で、常に中核にいてくださったという実感があります。

導入した年に、うまく使えない事業所が出ました。あのとき「使わない事業所が悪い」という話にならなかったのが、この地域の良さだったと思います。

おばあちゃん役を引き受ける院長

中島先生には、当会の副理事長も務めていただいています。

私が本当にありがたいと感じているのは、ご自身の専門領域にとどまらないことです。介護人材の不足のような、医師にとっては直接の担当ではない課題にも真摯に向き合い、一緒に考えてくださる。医療と介護を別々のものとして捉えるのではなく、業界まるごと、地域まるごとを診る。その姿勢が一貫しています。

ぜひお伝えしたいエピソードがあります。

当会では毎年、市民向けフォーラムの中で、医療や介護をテーマにした演劇を行っています。中島先生には毎年欠かさず出演していただいているのですが、いつの頃からか「介護が必要なおばあちゃん役」を引き受けてくださるようになりました。

客席から笑いが起きます。その笑いを見ながら、私はいつも同じことを考えます。白衣を着て診察室にいるだけでは、絶対に伝わらないものがある。「お医者さんって、こんなに近い人だったのか」という感覚が、あの数十分で地域に広がっていく。専門職向けの研修を10回やるより、あの舞台1回のほうが効いているのではないかと、本気で思うことがあります。

余談ですが、中島先生は私の高校の4学年後輩でもあります。親しみやすさのあまり「とおるちゃん」と呼びたくなるのですが、さすがにそれは心の中だけにしています。

支えているのは、先生方だけではない

もし向陽台ファミリークリニックがなかったら。この地域で「自宅で最期を迎える」という選択肢は、今よりずっと限られたものになっていたはずです。

そしてそれは、医師の力だけで成り立っているものではありません。泉谷事務長をはじめとするスタッフの皆さん、併設する訪問看護ステーションの鷹巣所長をはじめ看護スタッフの皆さん。地域医療という重責を担いながら、当会の運営にも力を尽くしてくださっています。連携という言葉は表に出る人の顔で語られがちですが、実際に回しているのは事務と看護だというのは、どの地域でも同じではないでしょうか。

いつかは「向陽台モデル」を全国へ

この10年で、千歳市の医療・介護の連携は確実に深まりました。その中心には、向陽台ファミリークリニックの先生方が持ち続けてきた「患者さんを中心に考える」という軸があると思っています。

患者さん・利用者さんを真ん中に置くから、職種を越えて本音で意見を交わせる。同じ方向を向いて進める。医療と介護、そして市民が肩を並べて地域を支える文化が、この地域には育ってきました。

この向陽台地区から、新しい医療・介護連携の形を全国へ発信できたら。いつか「向陽台モデル」と呼ばれる地域包括ケアシステムを築くことができたら。大きな夢かもしれませんが、それが私の率直な願いです。

自分の地域の「耕してくれた人」は誰か

このインタビューを受けながら、ずっと考えていたことがあります。

連携がうまくいっている地域を見て「あそこは恵まれている」で片づけてしまうのは、もったいないということです。千歳が恵まれていたのは事実ですが、それは偶然そうなったのではなく、誰かが先に土を耕していたからです。会議の前に電話を1本入れる。町内会の集まりに顔を出す。呼ばれた場に、時間をつくって行く。表に出ない、地味な作業の積み重ねです。

だとすれば、自分の地域にも必ず、耕してくれている人がいます。医師とは限りません。病院の相談員かもしれないし、包括の職員かもしれないし、10年ずっと同じ地区を担当しているケアマネジャーかもしれない。

その人に、一度お礼を言ってみる。あるいは、今度は自分が耕す側に回ってみる。連携という言葉が制度用語として硬くなってきた今だからこそ、そこから始め直したいと思っています。

北海道家庭医療学センターの皆さま、開設30周年、本当におめでとうございます。9月27日には記念式典が予定されていると伺っています。この30年の歩みに敬意を表するとともに、これからも千歳・向陽台の地で、一緒に景色を見せていただければと願っています。


木下浩志(NPO法人ちとせの介護医療連携の会 理事長/株式会社MCL 取締役/北海道介護福祉学校 非常勤講師/キャリアコンサルタント)

出典:北海道家庭医療学センター開設30周年記念サイト「HCFM 30TH ANNIVERSARY」(30周年メッセージ/木下浩志インタビュー)

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