「魂が綺麗かどうか」だけを見る ― 終戦の日に、人を見る目のことを考える

「魂が綺麗かどうか」だけを見る ― 終戦の日に、人を見る目のことを考える

8月15日。お盆の中日を過ぎて、まちが少しだけ静かになる日です。正午の黙祷に合わせて手を止める方も、そのまま夜勤の申し送りに入る職員もいる。介護の現場にとって、この日は特別であり、同時にいつもどおりでもあります。

先日、美輪明宏さんのインタビュー記事を読み返す機会がありました。東洋経済オンラインに載っていた「『気配りできない人にイライラする人』の本質」という一本です(2024年11月28日)。読んでいるうちに、これは介護の職場の話だな、と思えてきて、しばらく手が止まりました。

「なんであの人は気が利かないのか」

現場で、いちばんよく聞く不満のひとつだと思います。「なんであの人は、言われないと動かないのか」「なぜ、そこに気づかないのか」。管理者としてその相談を受ける回数は、正直、数えきれません。

美輪さんは、その苛立ちの正体を、人を自分と比べているからだと言い切っておられました。自分にできることが相手にできないと腹が立つ。けれど、そもそも人はみな違うのだと初めから思っていれば、比べようがない、と。

読んだとき、私は若い頃の自分を思い出して、少しばつの悪い気持ちになりました。自分が当たり前にできることを、できない後輩に対して、口には出さずとも「なぜ」と思っていた時期が確かにありました。あれは指導ではなく、ただ自分を基準にしていただけだったのだと、いまなら分かります。

属性ではなく、その人を見る

もうひとつ、記事の中で強く残った言葉があります。人を判断するときに見るのは「その人の心、つまり魂が綺麗か、綺麗でないか」だけだ、という一節です。容姿も年齢も性別も国籍も、一切見ない。

これは、介護の仕事の根っこと同じことを言っていると思いました。私たちは日々、要介護度でも、病名でも、家族構成でもなく、その人自身と向き合う仕事をしています。ところが、支える側の人間を見るときには、いつのまにか経験年数や資格や年齢といった物差しを持ち出してしまう。利用者に対しては属性で見ないと誓っているのに、同僚に対してはそうでもない。この矛盾は、私自身への戒めとして受け止めています。

これから介護の職場には、これまで以上にいろいろな背景の人が入ってきます。外国から来る仲間、子育てや介護をしながら短い時間だけ働く人、別の業界を経てから飛び込んでくる人。人を属性で測る癖が抜けない職場は、その人たちを受け止めきれません。逆に言えば、目の前のその人を見る目さえ育っていれば、職場は驚くほど広がります。

学生に伝えたいこと

北海道介護福祉学校で教えるとき、私が毎年どこかで必ず話すのが、この「比べない」という話です。同期と比べて自分は遅い、あの子はもう利用者と自然に話せるのに自分はできない。実習の時期になると、そういう相談が増えます。

そのたびに伝えるのは、あなたと同期は違う人間なのだから、そもそも同じ物差しに乗らない、ということです。早く上手になる人が、良い介護福祉士になるとは限らない。時間をかけてしか掴めないものを、時間をかけて掴む人のほうが、十年後に強かったりする。これは慰めではなく、私が現場で何度も見てきた事実です。

終戦の日に、あらためて

美輪さんが少年時代に長崎で被爆された方であることは、よく知られています。人を属性で分け、序列をつけ、あるいは敵と味方に切り分けた先に何が起きたのか。それを見てきた方の言葉だと思うと、「人と違って何が悪いのか」という一言の重みが、まるで違って聞こえてきます。

戦争の記憶を語れる方は、年々少なくなっています。私たちの施設でも、ご自身の戦争体験を語ってくださる利用者は、もうほんのわずかです。だからこそ、その方々の話に耳を傾ける時間を、業務の合間の余白ではなく、ケアそのものとして持ちたい。8月15日は、それを思い出させてくれる日でもあります。

人を比べない。属性で測らない。言葉にすると簡単ですが、疲れているときほど守れなくなります。今日くらいは、そのことを静かに自分に言い聞かせておこうと思います。

今日も現場に立っていらっしゃる皆さん、いつもありがとうございます。


木下浩志(NPO法人ちとせの介護医療連携の会 理事長/株式会社MCL 取締役/北海道介護福祉学校 非常勤講師/キャリアコンサルタント)

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