値上げできない業界が、7月下旬の答申を見つめている ― 最低賃金と介護経営

値上げできない業界が、7月下旬の答申を見つめている ― 最低賃金と介護経営

7月も後半に入りました。今月下旬、中央最低賃金審議会が2026年度の最低賃金の「目安」を答申します。7月10日の小委員会では、労使ともに「引き上げは必要」という点で一致しました。労働側は過去最大だった昨年度の66円を上回る水準も視野に入れ、経営側もさすがに据え置きは求めていない。つまり、今年も相当程度上がることは、ほぼ動かないということです。

北海道の現行額は1,075円。2025年10月4日から、65円(6.4%)引き上げられた水準です。ここにまた数十円が乗る。10月の発効まで、あと二か月半しかありません。

正直に言うと、私はこの季節の答申のニュースを、毎年少し身構えながら見ています。賃金が上がること自体は、心から歓迎したい。現場の仲間の暮らしが良くなるのですから、反対する理由がありません。それでも法人の数字を預かる立場としては、同じニュースが別の顔を見せてくるのです。今日はその話を書きます。

私たちは「値上げ」で吸収できない

最低賃金が上がったとき、多くの業種にはひとつの選択肢があります。価格に転嫁することです。人件費が上がったぶん、商品やサービスの値段を上げる。もちろん簡単ではありませんし、客離れのリスクもありますが、少なくとも打ち手としては手元にある。

ところが介護は違います。介護報酬は公定価格です。私たちがどれだけ人件費に追われても、単価を自分で上げることはできません。次の改定を待つほかない。ここが、小売や飲食と決定的に違うところです。最低賃金は毎年上がるのに、収入の単価は数年に一度しか動かない。この時間差が、そのまま経営の重さになります。

だからこそ、この業界にとって最低賃金の答申は「よそのニュース」ではありません。売上が固定されたまま、コストの床だけが確実に上がっていく。その事実を、7月のうちに数字で受け止めておく必要があります。

効くのは「最低賃金すれすれの人」だけではない

もうひとつ、見落とされがちな点があります。最低賃金の引き上げは、その額の近くで働く人だけの問題ではない、ということです。

たとえば、パート職員の時給を1,075円から1,140円に上げたとします。そこで終わりません。すぐ上の層――1,150円で働いている、経験5年の職員はどうなるか。差はわずか10円です。新しく入った人と、五年支えてくれた人が、ほとんど同じ時給になる。

これが起きたとき、失われるのは公平感です。そして公平感が崩れたとき、人は静かに辞めていきます。「不満を言われたら対応しよう」では間に合わない。何も言わずに、ある日、退職届を持ってくる。私はそういう場面を何度か見てきました。あのときの、こちらの手遅れ感は、いまでも思い出せます。

ですから最低賃金対応とは、下限を持ち上げる作業ではなく、賃金表全体を組み直す作業です。ここを甘く見ると、コストだけ増えて定着は良くならない、という最悪の結果になりかねません。

二か月半で何をしておくか

答申の額が出るのは下旬、北海道の正式な発効は10月です。まだ額が確定していないから動けない――ではなく、確定していないうちにできることを、いま済ませておきたいと思っています。私自身が手元で進めているのは、次のあたりです。

ひとつ、試算です。 額が読めなくても、幅で置けば計算はできます。仮に50円・65円・80円の三通りで、年間の人件費増と法定福利費の増加分がいくらになるか。事業所ごとに出しておく。答申が出た瞬間に「うちはこの線」と当てはめられる状態にしておけば、9月に慌てずに済みます。

ふたつ、賃金表の点検です。 先ほどの逆転が、どこで起きるか。時給者だけでなく、月給者の時間単価も要注意です。月給を所定労働時間で割ったら最低賃金を下回っていた、という話は珍しくありません。固定残業や各種手当の扱いも含めて、いまのうちに洗い出しておく

みっつ、使える制度の確認です。 業務改善助成金や賃上げ促進税制など、引き上げに合わせて使える仕組みはあります。額が大きいわけではありませんが、使わないより使ったほうがいい。要件は年度で変わるので、必ず今年度の最新版を確認してください。

上げると決めたら、その先の顔を思い浮かべたい

最低賃金の引き上げは、経営者にとって間違いなく重い話です。転嫁できない業界であればなおさら。数字だけを見ていると、防御的な気持ちになるのも自然だと思います。

それでも、私はこう考えるようにしています。この国が介護職の賃金を上げようとしているのは、この仕事が社会に必要だと認めているからです。原資の手当てが追いついているかは別問題ですし、そこは事業者として言うべきことを言い続けます。けれど、方向そのものは間違っていない。

答申の数字が出たら、まずは電卓を叩くことになるでしょう。私もそうします。でもそのあとで、一度顔を上げたい。その数十円の先にいるのは、今日も誰かの暮らしを支えてくれている、名前も顔も知っている仲間たちです。彼ら彼女らの生活が、少しでも楽になる。そう思えれば、この重さも、引き受けるに足るものになるはずです。

7月下旬、答申が出ます。まずは試算から。10月は、思っているより早く来ます。


木下浩志(NPO法人ちとせの介護医療連携の会 理事長/株式会社MCL 取締役/北海道介護福祉学校 非常勤講師/キャリアコンサルタント)

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