いま、私が取締役を務める会社で、仲間とともに経営計画書をつくっています。理念を言葉にし、私たちが何を大切に働くのかを一つひとつ確かめていく作業です。その行動指針の、いちばん最初に置いた言葉があります。
「圧倒的当事者意識」。
そして、その説明文の冒頭にこう記しました。――仕事は与えられるものではなく、自分で見つけ、自分で作る。
今日は、キャリアコンサルタントとして、そして一人の経営に携わる者として、この「当事者意識」という働き方について、私の思うところを書いてみたいと思います。
「指示待ち」のままでは、仕事は面白くならない
長く多くの方のキャリア相談に向き合ってきて、私には一つの確信があります。それは、仕事を「自分ごと」にできている人ほど、生き生きと働いているということです。
逆に、「言われたことはやっています」「指示がないので動けません」という状態が続くと、人は驚くほど早く、仕事のやりがいを見失っていきます。これは本人の能力や真面目さの問題ではありません。仕事を“与えられるもの”として受け取っている限り、そこに自分の意思が入る余地がなく、面白さも、成長の手応えも生まれにくいのです。
介護の現場は、本来こうした「自分ごと」がいちばん活きる仕事です。目の前のご利用者に何が必要かは、マニュアルではなく、その人を見ているあなたにしか気づけない。気づいた人が、動く。それだけで、ケアは確実に変わります。
「もし自分だったら」から、仕事は始まる
では、当事者意識とは具体的にどういうことか。私はシンプルに、「もし自分だったら、どうしてほしいか」を起点にすることだと考えています。
目の前のご利用者を、遠い「対応すべき相手」としてではなく、「もし自分が、あるいは自分の家族がこの立場だったら」と想像してみる。されて嬉しいことを、される前にする。たったそれだけのことですが、この一歩が踏み出せる人と、踏み出せない人とでは、仕事の質も、働くことの充実感も、まるで違ってきます。
そしてこの姿勢は、特別な才能を必要としません。役職も、経験年数も関係なく、誰もが今日から選べる行動です。だからこそ私は、これを働く上でいちばん大切な土台だと思っています。
「誰かがやるだろう」が、いちばん怖い
私たちが計画書の中で、当事者意識の説明に添えた一行があります。
⚠「誰かがやるだろう」は、誰もやらないのと同じ。
廊下に落ちている小さなゴミ。なんとなく元気のないご利用者の表情。申し送りで引っかかった、ほんの違和感。――「誰かが気づくだろう」「自分の担当ではないし」と通り過ぎた瞬間、その小さなサインは、誰にも拾われないまま消えていきます。事故やトラブルの多くは、実はこの「誰かがやるだろう」の積み重なった先に起きるものだと、現場を見てきて痛感しています。
逆に言えば、「これは自分がやろう」と一歩を踏み出せる人が一人いるだけで、チームの空気は変わります。当事者意識とは、声高な責任感のことではありません。気づいた人が、そっと動く。その静かな積み重ねのことなのだと思います。
自分のキャリアもまた、自分で創るもの
最後に、これはケアの話だけではありません。あなた自身のキャリアもまた、誰かが用意してくれるものではなく、自分で見つけ、自分で創っていくものです。
「いまの職場で、自分は何ができるだろう」「どんな強みを伸ばしていきたいだろう」――その問いを自分に向けられる人は、たとえ環境が変わっても、どこででも必要とされていきます。指示を待つのではなく、自分の仕事を自分で定義しにいく。その姿勢こそが、長い職業人生をしなやかに支えてくれる、何よりの力になります。
仕事は、与えられるのを待つものではありません。自分で見つけ、自分で創るもの。今日の一日が、あなたにとって「自分ごと」の一歩を踏み出せる日になりますように。
木下浩志(NPO法人ちとせの介護医療連携の会 理事長/株式会社MCL 取締役/北海道介護福祉学校 非常勤講師/キャリアコンサルタント)


コメントを残す