介護福祉学校1年生・5月末の壁 ― 「教科書の言葉」と「現場の言葉」をつなぐ非常勤講師の役割

介護福祉学校1年生・5月末の壁 ― 「教科書の言葉」と「現場の言葉」をつなぐ非常勤講師の役割

はじめに ― 入学2か月、学生の表情が変わる時期

おはようございます。木下です。

本日5月28日、木曜日。北海道介護福祉学校では、1年生が入学から約2か月を迎えています。私自身、同校で非常勤講師を務めながら、株式会社MCLでは現場の管理者として日々スタッフと向き合っています。「教える側」と「現に介護を提供する経営側」の両方を行き来していると、毎年この時期の1年生に共通する「小さな揺れ」が見えてきます。

入学直後の4月は、誰もが緊張感と高揚感に包まれています。授業が始まり、ノートを取り、課題をこなす。そこには「学生になった」という形が確かにあります。ところが5月の連休が明け、生活が落ち着いてくると、表情が少し変わる学生が出てきます。

「介護って、こういうことだったのか」
「思っていた仕事と、何か違うかもしれない」
「教科書の言葉が、自分の中でうまく像を結ばない」

この「うまく像を結ばない」感覚こそ、入学2か月の1年生が直面する最大の壁だと私は感じています。今日は、この壁の正体と、非常勤講師としてそこに何ができるかを整理してみたいと思います。

「教科書の言葉」と「現場の言葉」は別物である

介護福祉士養成課程のテキストには、たくさんの専門用語が並びます。ICF、自立支援、QOL、エンパワメント、アセスメント、ニーズ把握 ― いずれも介護を語る上で欠かせない概念です。

しかし、現場で実際に交わされている言葉は、こうした抽象語ではありません。

学生が将来配属される現場で飛び交うのは、こうした極めて具体的・局所的・人称的な言葉です。教科書に出てくる「アセスメント」は、現場では「あの方、今日は機嫌悪い」という一文に凝縮されています。「個別ケア」は、「3番目に入ってもらおうか」というシフトの組み立ての中に溶けています。

ここに、養成校で学ぶ学生の最大の戸惑いがあります。教科書の言葉を覚えても、現場の言葉に翻訳できない。 翻訳できないまま見学実習に出ると、現場で何が起きているのか、構造として理解できないのです。

なぜ翻訳のズレが生まれるのか

このギャップは、決して教科書が悪いわけでも、現場が雑なわけでもありません。両者は、そもそも目的が違うのです。

教科書の言葉は、「再現可能な知識」として体系化されたものです。誰が読んでも同じ意味で理解できるように、抽象度を上げて整理されています。一方、現場の言葉は、「目の前のご利用者をその場で動かすため」の道具です。文脈・関係性・履歴を共有している人どうしの間でだけ通じる、極めて高密度な記号です。

つまり、

この性質の違いを理解しないまま、学生が「教科書を覚えれば現場で通用するはずだ」と思い込むと、見学実習や初回演習で深い無力感を覚えます。逆に、現場の言葉だけを真似ようとすると、なぜそう判断するかの構造を言語化できず、応用が利かなくなります。

学生に必要なのは、両者を行き来する「翻訳力」です。そして、この翻訳力を育てるのが、まさに養成校教員と臨地実習指導者の共通の仕事だと、私は考えています。

非常勤講師として、私が授業でやっていること

私は週に一度、北海道介護福祉学校で授業を担当します。専任教員の先生方が体系的なカリキュラムを設計してくださっていますので、私の役割は明確です。「経営の現場から来た人間として、教科書の言葉を現場の言葉に置き換えて見せること」。これに尽きます。

具体的には、次の3つを意識しています。

1. 抽象語に、必ず「人」と「場面」を貼り付ける

「アセスメント」と板書するだけでは、学生の中に像は結びません。そこで、

と問いを立て直します。学生は最初、戸惑います。何を見ればいいのか、教科書には書いていないからです。そこで、

と、教科書の言葉と現場の言葉のあいだに橋を渡します。学生のノートには、抽象語と具体場面が、ようやく1対1で対応した形で残ります。

2. 「経営者は、なぜそれを気にするか」を語る

養成校の授業で、経営の視点はあまり語られません。しかし、現場のあらゆる判断は、突き詰めると経営判断と直結しています。

これらはすべて、人件費・労務管理・リスクマネジメント・苦情対応コストといった経営の文脈で初めて整合します。学生に「教科書の手順の裏には、必ず経営判断が走っている」ことを早い段階で示しておく。これは現場に出てからの納得度を大きく変えると、私は実感しています。

3. 「分からなさ」を歓迎する

5月末の1年生に最も多いのは、「分からないけれど、分からないと言えない」という状態です。これは新人介護職員の「静かなSOS」と、構造としてまったく同じです。

授業の中で、

と、分からなさを言語化する練習を意図的に入れます。分からなさを言葉にできれば、それは翻訳の入口です。逆に、分からなさを抱えたまま施設見学に出ると、見学が「ただ立っていただけ」の体験で終わります。

養成校と現場が、もっと言葉を共有していくために

非常勤講師として教壇に立ちながら、つくづく感じるのは、養成校と介護現場のあいだに、もう一段の「言葉の共有」が必要だということです。

養成校の教員は、現場の最新の文脈をどこまで知っているか。現場の管理者は、学生がいまどの単元を学んでいるかをどこまで把握しているか。両者がもう少しだけ重なり合えば、学生にとっての「翻訳負荷」はずいぶん軽くなるはずです。

株式会社MCLでも、北海道介護福祉学校の実習生を受け入れています。受け入れにあたっては、「学生がいま教科書のどこを学んできているか」をスーパーバイザーが把握することを、少しずつ徹底し始めました。これだけでも、実習指導の質はかなり変わります。学生の言葉を翻訳してあげられるスーパーバイザーがいる現場と、そうでない現場では、実習後の学生の表情が明らかに違います。

おわりに ― 「揺れ」は学びの入口である

入学2か月の1年生が見せる「小さな揺れ」は、決してネガティブなものではありません。むしろ、教科書の言葉と現場の言葉のあいだに、自分自身が立っていることに気づき始めたサインです。揺れているからこそ、翻訳が始まります。

非常勤講師としての私の仕事は、その揺れを押し戻すことでも、急いで答えを与えることでもありません。「揺れたまま、もう少しだけ立っていられる」ように、言葉を一つずつ手渡していくこと。それが、現場経営者でもある人間が教壇に立つ意味なのだろうと、5月末のこの時期、毎年あらためて確認しています。

良い木曜日を、お過ごしください。

木下 浩志
NPO法人ちとせの介護医療連携の会 理事長
株式会社MCL 取締役
北海道介護福祉学校 非常勤講師

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